2022/01/06
北欧家具とは?知られざる歴史と職人たちの物語
今回は私たちが日常で触れていながら、その歴史について知る機会の少ない北欧家具を紐解いていきます。
今日の北欧家具の人気は一部のコレクターに留まらず、老若男女に幅広く支持されており、インテリア雑誌を開いて北欧デザイン家具を見ないことはありません。
そんな北欧家具について、皆様はどういったイメージをお持ちでしょうか?
・ユニークで大胆な形状
・印象的な色使い
・人体工学に基づいた設計
こういったところでしょうか。
では、そもそも何が北欧デザイン家具として定義づけられるのか?
この記事を読んでいただければ、北欧家具が誕生するまでの歴史がわかります。
リノベーションとも非常に相性の良い北欧デザインを知って、ぜひインテリア選びにお役立てください。
目次
1.北欧と呼ばれる国々について
2.北欧家具の歴史はヴァイキングに始まった
3.「Less is More」ーモダニズム運動の勃興
4.北欧家具の黎明期 ーコーア・クリント
5.デザインの先端はアメリカへ ーミッドセンチュリー
6.デンマーク家具の黄金時代 ーハンス J.ウェグナー
7.名作紹介 ー北欧家具の4大巨匠
8.デンマーク家具の衰退期
9.再評価とさらなる進化
10.復刻生産という新たなブーム
11.受け継がれるクラフトマンシップ
12.まとめ
北欧と呼ばれる国々について
本題に入る前に北欧と呼ばれる国々をおさらいしましょう。
一般的に北欧という場合、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンのスカンジナビア3ヶ国とフィンランド、またはこれにアイスランドを含めた5ヶ国を指すことがほとんどです。
人口は3000万人足らずと、主要5カ国を合わせても日本の4分の1ほどの人口です。
北欧というと極寒の地というイメージがありますが、実際にはノルウェー沖を流れるメキシコ暖流のため、他の同緯度の国と比べると寒さはおだやかです。
それでも高緯度に位置しているため、季節によって太陽光の届き具合がかなり違います。
スウェーデンの冬は日の出が朝9時頃で、日中も完全に日が真上に昇ることはなく、ずっと夕方のような日差しが続きます。
治安はヨーロッパ諸国と比べるとかなり良い方で、衛生面も問題なく旅行先としても人気です。
国民性はおだやかですが、少し人見知りなところがあり、私たち日本人の性質とも似通っています。
日照時間が短く、家で過ごす時間が長い北欧の人々にとって、機能的な家具や飽きのこないインテリアは、楽しく室内の時間を過ごすために欠かせないものでした。
今や世界的に普及した北欧デザインは、こうした北欧民たちの生活環境から生み出されました。
フィンランドのテキスタイルに代表される、アースカラーを用いた独創的なそのデザインが、厳しくも雄大な自然がアイデアの源泉となっていることは、もはや言うまでもないかもしれません。
フィンランドの作家であるトーベ・ヤンソンの「ムーミン・シリーズ」
8世紀末ごろからヴァイキングによって他国との交易が始まる
北欧家具の歴史は8世紀末から11世紀半ばにまで遡ります。
その時代のスカンジナビアにはヴァイキングの存在がありました。
略奪を繰り返す海の荒くれ者のイメージの強いヴァイキングですが、実際には入植や交易といった商業活動を目的としており、故郷に帰れば農民や漁民であったことが現在ではわかっています。
他国から宝飾品を中心に様々なものを自国に持ち帰ったヴァイキングでしたが、その中には家具などの調度品も含まれていたことでしょう。
元々優れた造船技術と木工技術を持つヴァイキングが、入植地で学んだ家具の製造方法を自国に持ち帰り、広めていったことは想像に難くありません。
時代は進み、14世紀にイタリアで始まったルネサンスがヨーロッパを北上し、17世紀に入ると北欧でも建築を中心にルネサンス様式が流行しました。
その後、デンマークの王族や貴族の間で流行した家具のスタイルはフランス・イギリスから持ち込まれたバロック様式、ロココ様式、ジョージアン様式へと変遷します。
腕の良い家具職人は、これらのスタイルを真似て家具を製作し、王族や貴族に納めていました。
この時代にはまだ北欧オリジナルのデザイン家具というものはなく、家具デザイナーという職業もありませんでした。
一方で、デンマークのコペンハーゲンに家具職人組合が16世紀中頃から存在していたことからわかるように、家具づくり自体は国内で盛んに行われていました。
20世紀初頭から勃興したモダニズム運動
20世紀に入り、ドイツの総合芸術学校バウハウスを中心としたモダニズム運動がヨーロッパを席巻していました。
校長である建築家のミース・ファン・デル・ローエは
「より少ないことはより豊かなこと(Less is More)」
という標語を用い、バウハウスは工業的な大量生産を前提とした合理主義・機能主義を掲げ、無駄な装飾を排除し、金属の鋼管を曲げてフレームにするなど、それまで家具の生産には使われてこなかった素材や技術を応用して新たな価値観を提唱しました。
※余談ですが、「神は細部に宿る」という言葉を世間に広く知らしめたのもこの方です。
これは伝統的なハンドメイドの家具づくりに対する新たな挑戦であったともいえます。
このモダニズム運動は当然隣国のデンマークにも波及しました。
そしてデンマークではそれらが独自の進化を遂げていきます。
北欧家具の黎明期ーコーア・クリント
コーア・クリントは「デンマーク家具デザインの父」と呼ばれ、後の黄金時代の礎を築いた人物です。
いわばこの人こそ、北欧家具の生みの親です。
彼はモダニズム運動の中にあって、過去の伝統と決別するのではなく、むしろそれと真摯に向き合い、調査・分析・研究を行うことでデザインし直す「リ・デザイン」という方法論を確立しました。
「古典は我々よりもモダンである」
という彼の言葉は、先人の残したものに対する尊敬の念の表れといえるでしょう。
クリントは人体と家具の相関関係、および収納家具のモジュールなどについても研究しています。
1:1.414の白銀比から導き出された数字をインチ規格で人体各部の寸法に割り付け、家具デザインに応用していきました。
また一般的な家庭にあるシャツやコート、下着や靴下などのリネン類から食器やその所有数にいたるまでを徹底的に調査し、それら生活用品が効率的に収納できるよう、家具の引き出し寸法や配置を決めています。
これらの執念とも呼べるクリントの家具へのクラフトマンシップは、自身が教鞭を執る王立芸術アカデミーの生徒を中心に、デニッシュモダンの本流として後の世代へと引き継がれていきました。
家具デザインの流行最先端はアメリカへ
第二次世界大戦後、工業デザインの中心はベルリンのバウハウスからアメリカへと移りました。
自国内を戦地としなかった戦勝国のアメリカは、産業の復帰が他国よりも早く、さらに軍事産業から生まれたFRP(ガラス繊維強化樹脂)やプライウッド(成型積層合板)を用いて、バウハウスの流れを汲みながら生産量を一気に増やせる、シンプルな形状で、デザイン性の高い家具を生み出しました。
後にミッドセンチュリーとひとまとめに呼ばれるほど定着したこのデザインは、戦地から帰還して家を持つ兵士たちを筆頭に、アメリカ国内で爆発的に普及しました。
チャールズ&レイ・イームズ夫妻やジョージ・ネルソンを代表とするアメリカンミッドセンチュリーのデザイナーたちは、家具だけにとどまらず、建築、映画制作、写真、グラフィックなど、モダンデザインのパイオニアとして一時代を築きました。
北欧家具の中心であるデンマーク人デザイナーたちは、この大きな潮流の中で、独自の文化や価値観を基盤としたスカンジナビアンデザインを発信し続け、戦争によって疲弊した自国の産業振興策の強力な後押しもありながら徐々に注目を集めることとなります。
デンマーク家具の黄金時代
アメリカの雑誌「interiors」1950年2月号でデンマーク家具の特集記事が掲載されます。
誌上ではピーコックチェアやシェルチェア・チーフティンチェアが紹介され、これをきっかけにモダンで温かみのある北欧デザインがアメリカに広く知られるようになります。
54年から57年にかけてアメリカとカナダの24の美術館を巡回した展示会は6万5千人以上を動員し、北米市場におけるデンマーク家具の人気を定着させます。
当時ニューヨークの5番街で銀細工ブランド、ジョージ・ジェンセンの輸入代理店を営んでいたデンマーク移民のフレデリック・ルニングは、スカンジナビアのハンドクラフト製品を販売しました。
1951年、彼は北欧出身のデザイナーを対象にした「ルニングプライズ(ルニング賞)」を創設し、受賞者は賞金で国外へ勉強に行くシステムになっていました。
第一回目の受賞者はすでにコペンハーゲンの家具職人組合が催す展示会で注目を浴びていたデンマーク人デザイナーのハンス J.ウェグナー。
現在において家具デザイナーとして最も成功した人物のひとりです。
(椅子の神様とも呼ばれています)
ウェグナーもコーア・クリントの「リ・デザイン」ー過去の歴史・様式を見直し、それを時代の需要に合うように再構成するーという方法論を受け継いでいました。
古い概念を壊し、斬新な物をデザインするモダニズムが主流となっていた時代において、ウェグナーの生み出す家具は大胆な形状と高い機能性を持ちながら、人間らしい温かみのある作品に仕上がっていました。
そのクラフトマンシップを象徴する家具として「チャイニーズチェア」が挙げられます。
この「チャイニーズチェア」は中国・明時代の椅子である、圏椅(クァン・イ)にインスパイアされて生み出されました。
そしてその後もウェグナーは、より強く、量産できる椅子を求めて改良に改良を重ねていきます。
1950年に発表された「Yチェア」(CH24)は後に世界で最も売れた椅子となり、同時に世界で最も有名な椅子となりました。
「ザ・チェア」(JH503)は1960年に民主党のケネディ氏と共和党のニクソン氏の、大統領選初のテレビ討論で使用され、一躍有名になりました。
名作紹介 北欧家具の4大巨匠たち
ハンス J.ウェグナー、ボーエ・モーエンセン、フィン・ユール、アルネ・ヤコブセン。
彼らは先人のクラフトマンシップを引き継ぎながら、時にアメリカンミッドセンチュリーと融合し、新たな潮流を生み出しました。
北欧家具の4大巨匠として名が挙がるこのデンマーク人デザイナーたちの代表作をもう少し挙げていきましょう。
イージーチェア ーフィン・ユール
イージーチェアは全体を包み込むなめらかな曲線と、流れるような流麗な肘掛のフォルムはペーパーナイフにも例えられるほど美しく、この独創的な肘掛けから、「世界一美しい肘掛を持つ椅子」と称えられました。
彼の作品はデンマーク家具デザイン業界においても異彩を放っており、時にマイスターたちからの批判を浴びながらも生涯独自のアプローチを貫き通しました。
彼の生誕100年を記念するイベントが2012年に東京でも開催されたことは記憶に新しいところです。
エッグチェア ーアルネ・ヤコブセン
エッグチェアはその独特のフォルムによって、住宅ではまるで身体が包み込まれるような安心感と、パブリックスペースではプライバシーを与えてくれます。
ヤコブセンはガレージでワイヤーと石膏による試作を繰り返し、シェルの完璧なフォルムを追求しました。
自身が設計したSASロイヤルホテルのロビースペースのためにデザインされた、北欧デザインを代表する作品のひとつです。
シェーカーチェア ーボーエ・モーエンセン
別名「ピープルズチェア」(みんなの椅子)とも呼ばれるシェーカーチェアは、戦後間もない物資の時代において、良質かつ誰でも購入できるリーズナブルさ、そしてシンプルで主張しすぎないフォルムを求めて、5年の歳月を費やしながら開発されました。
キリスト教の一派であるシェーカー教徒の厳格ながらも美しく質素な自給自足の生活からインスピレーションを受けて誕生しました。
デンマーク家具の衰退期
北欧家具は1940年代から60年代に黄金期を迎え、そして70年代以降、長い衰退期に入っていきます。
衰退期の要因はいくつかあり、元々小規模であった工房にオーダーが殺到したことでこれまでのように家具デザイナーと建築家が協力して新作を開発する余裕がなくなってしまったことや、工場での大量生産への移行により腕の良い後継者が育たなくなってしまったこと。
そして60年代後半から流行したヒッピーに代表されるポップカルチャーの台頭、ポストモダンのムーブメントが衰退に拍車をかけます。
IKEAのようなカジュアルでコストパフォーマンスを追求した家具が若い世代に受け入れられ始めたことも強く影響しました。
かつて隆盛を誇った家具メーカーは次々と廃業や倒産・買収に追い込まれていきました。
デニッシュモダンは1970年代から90年代初めにおいて、多くの人の目にすでに旬を過ぎた過去の遺物として見做されるようになったのです・・・。
デニッシュモダンの再評価と北欧家具のさらなる進化
しかし時代の潮流はやがて変化していきます。
1990年代中頃、ポストモダンやハイテクといった前衛的なものに食傷気味となった人々の目は、再びオーガニックでミニマルな北欧デザインの魅力に気づき始めます。
それまで倉庫に山のように積まれていたヴィンテージ品がひとつまたひとつと売れていき、やがて価格が高騰して手に入らなくなっていきました。
この再評価の流れは2000年代に入ってさらに加速し、インターネットやメディア・雑誌を通じて、世界的に北欧インテリアというジャンルの定着を決定的なものにします。
コーア・クリントに始まったデニッシュモダンは、潮の満ち引きを思わせるトレンドの洗礼を受けながらも、ここに初めて恒久的なカルチャーの一部となったのです。
その後、IKEAのようなローコスト家具と黄金期に作られた高価な家具の二極化になりつつある状況に、起業家たちが目をつけました。
ノーマンコペンハーゲンやHAYといったデンマークの新設ブランドは、低価格とは言えないまでも庶民にも手が届く範囲の価格で、高品質かつ高いデザイン性の家具を市場に送り出しました。
彼らは若いデザイナーを積極的に起用し、家具だけでなく生活用品もプロデュースしました。
親日家としても知られるデザイナーのセシリエ・マンツ
新世代メーカーとそれまでの老舗家具メーカーの大きく異なる点は、設立当初から製造を国内外の工場に外部委託していたことです。
自社の生産力やノウハウに縛られることなく外部と連携し、幅広いラインナップによって総合的にライフスタイルを提案できたことは、長らく閉塞感のあった北欧家具業界に新風を吹き込みました。
復刻生産という新たなブーム
2000年以降のもうひとつのトレンドが黄金期家具の復刻生産です。
復刻生産に対する考え方はメーカーにより様々で、工作機械を用いて効率的に生産するメーカーもあれば、できるだけ黄金期と同様の加工方法にこだわって復刻を行うメーカーもあります。
日本でも岐阜県に本社を置くキタニがライセンス契約による復刻生産を手がけており、そのほとんどの過程を手加工によって仕上げています。
※写真はキタニ公式HPより
また残念ながら、正規のライセンス手続きを行わずに販売されている模倣品も少なからず日本の市場に出回り問題となっています。
1940年代からの、ましてや海外の家具デザインを法律的観点から全て保護するのは難しく、インターネットを中心に、リプロダクトやジェネリックなどの名称で、権利を無視したものや、本来の品質に劣る模倣品が安価に販売されています。
しかしそれら安価なコピー品によって北欧デザインが人々の手に入りやすくなったことで、本物の価値がより数段高みに上がったという見解もあります。
受け継がれるクラフトマンシップ
デンマークを中核とする北欧家具の歴史は、現代においても世界の優秀なクラフトマンたちによって脈々と受け継がれています。
素材やフォルムへの探究心と人々の暮らしに対する深い愛情、そして執念とも呼べる「リ・デザイン」の精神が今日の北欧家具を世界中に広めました。
彼らのクラフトマンシップは実に半世紀の時を超え、私たちに豊かな暮らしを提案し続けています。
それでは最後にハンス J.ウェグナーの言葉で締めくくりましょう。
「人生でたった一脚のよい椅子をデザインできるか・・・いやそれは到底無理な話だよ」
Hans J.Wegner (1914-2007)
まとめ
今回は知られざる北欧家具の歴史を紐解いていきました。
歴史を知ることで新たな発見や北欧家具の深い魅力に触れることができたのではないでしょうか。
私たちが普段何気なく使っている物にもこのようなルーツがあるのでしょうね。
おしゃれなリノベーションや無垢材とも相性の良い北欧家具は、私も大ファンのひとりです。
知れば知るほどに魅力が深まるヴィンテージ家具は、世界中で熱狂的なコレクターを今なお生み出しています。
いつかは本物のデンマーク家具を自宅に置いてみたいものです。
参考図書
その他